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この写真は細江町中川の刑部城にいる役ノ小角。
なぜか足下におキツネさまが。(前鬼と後鬼でしょう)
1/12に行った琵琶湖旅行の記録の続き、その4。
最後は「松ヶ崎普門坊(まつがさきふもんぼう)」です。
知切光歳・著『圖聚天狗列伝』(1977)より。
「近江八幡市から一里半ばかり北の、湖水に突き出した南端の長命寺は、延暦寺西塔の別院といわれる古刹である。背後の長命寺には、「富士権現の母神の墓」と伝えられる大岩石があることで知られている。孝霊帝朝の富士山突起と琵琶湖陥没の伝承から、琵琶湖を生んだ母神という付会らしい。この長命寺の住僧が天狗に化ったという見聞を、国学者の伴蒿蹊が『閑田耕筆』(享和元年刊)に書いている」
(要約)元禄の頃、長命寺の普門坊という名前の僧が、百日荒行して天狗に変じた。しばらくのち隣りの牧村にある彼の実家(郷士)に「今後は来られぬ」という声が響いた。長命寺の裏山に祠が造られ、年に一回のこの社の祭りは牧村の実家が行い、以後100年続いている。
「百余年の間、毎年例祭を絶やさなかったとは、普門坊の霊威と練行のことがその地方の住民に相当強く印象づけられ、畏敬されていたからであろう。ただこの種の天狗化生譚はほかにも幾つもある。普門坊はたまたま蒿蹊のような優れた学者の筆に載り、そのうえ松ヶ崎普門坊という狗名まで残されていたのが幸いで、列伝の一狗に加えたまでである」
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のんびりドライブしていたら、またも16:00頃になっておりました。
昨日の横川でもそうでしたが、こういったお寺の拝観は大概17:00までで、受付も1時間〜30分前には締めきってしまうところも多いですから、焦る。
近江に詳しくないわたくしは「長命寺」という名前のお寺さんのことは知りませんでしたが、現地の観光案内板には大概場所が示されておりますのでなかなか有名なお寺のようだ。「長命寺港」という港が琵琶湖観光の拠点のひとつになっているからでもあるみたいですが。
安土城〜彦根城付近の水郷の風景には心洗われるものがありましたが、足は留めず長命寺を目指します。
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有名なお寺とは思えないぐねぐねした坂道を延々登っていくとお寺があり、この時間なのに駐車場にはたくさんの参拝の車が停まっておりました。
そこからなかなか味のある風情の石段が。
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とってもありがた〜い名前のお寺です。開創伝説は聖徳太子。
太子がここに遊びに来たとき、「500年前に武内宿禰が字を書いた柳の木がある」と聞いて、見に来たところ「寿命を長くし望みを叶えさせよ(寿命長遠諸願成就)」と彫ってあったので感心し、お寺を建て、武内宿禰の長寿にあやかって名付けたとのこと。天台宗。姨綺耶山(いきやさん)長命寺。桜餅とは関係ないそうです。
武内宿禰は孝霊天皇より5代あとの天皇の時代の人ですから、知切光歳の書いた「富士山の権現の母(この女神の名は不明)の巨岩」は宿禰が来たときには、既にここにあったことになる。
といいうか、我らが伊豆の国の英雄・佐々木定綱(=蛭ヶ小島の蛭子の君の一の子分)ととてもゆかりの深いお寺だそうです。へぇ。
近江佐々木氏は六角家の祖。六角家は蔵前家の源流。
やはりお寺のお名前がお名前ですから、真摯にお参りしている人が多い。
長寿などは願いたくない私は本堂を巡って見るのにも身が狭く、困ってしまいました。
重要文化財の三重塔も見所だといいます。でもただいま1年4ヶ月をかけての修復工事の真っ最中だそうで、2層の屋根辺りまで見学用の足場が組まれ、間近で見させていただけるようになっていました。さきほど竹生島でも似たような工事現場を興味深く見たばかりです。
で、敷地内を巡って天狗様の祠を捜します。
興味深いのが、本堂の近くにこれまた立派な(すこし小さい)「護法権現社」というのがありまして、「これが天狗様か?」と思ったら、護法権現というのは武内宿禰のことだそう。その建物は江戸後期のものだそうで、そのまた隣りにある立派な「三仏堂」と見事な調和を見せている。これは神仏分離の騒ぎのとき大変だったろうなぁ、と思いました。で、その「護法権現社」というのを覗き込みますと、背後に見事な巨石を背負ってまして、これが武内宿禰の神体だとみなされているようだ。
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これがその武内宿禰の神体(を横から見たもの)ですが「修多羅(すたら)岩」と呼ぶのだそうです。
「すたら」?
「仏教用語である」と下に解説板がありますが、そんな用語があるのか。と思って検索してみると、確かに「修多羅」は仏教用語でありますが、その意味は見事に解説サイトによってばらばら。同一の語句とは思えないほどです。少なくともここに書いてあるような説明は、他では見いだせない。そもそも「しゅたら」と読むのがメイン潮流で、これを「すたら」と読むのは北九州市にある地名ぐらい。何者だ、スタラ?(「しゅうだら」と読むお寺もあるそうです)
そういえば、このお寺の山名も「姨綺耶(いきや)山」という意味不明の名前。
「なにかナゾのあるお寺なのか!?」とワクワクしてきました。
知切師が言った「富士権現の御母堂の岩」というのこれか、もしかして富士権現と武内宿禰の伝説の融合がここにある!?と思って周囲を見回すと、本堂の背後に相当する位置にアレ。
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あれが「六所権現影向石」ですね。(遠くてボけちゃった)
わたくしまだこのカメラの操作に慣れておりません。
なんでこれが「六所権現」なのかわからないですけど、寺伝によればあれが「武内宿禰が長寿を願った石」だそうです。(柳の木じゃなかったっけ)
そしてこちら。
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太郎坊大権現の鳥居!
なんで太郎坊?(普門坊とは別者か?)
そしてお分かりになりますか? 鳥居の上には無数の小石が並べられております。
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鳥居の先をずんずん進みますと、ありました、天狗の社。
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この写真は細江町中川の刑部城にいる役ノ小角。
なぜか足下におキツネさまが。(前鬼と後鬼でしょう)
1/12に行った琵琶湖旅行の記録の続き、その4。
最後は「松ヶ崎普門坊(まつがさきふもんぼう)」です。
知切光歳・著『圖聚天狗列伝』(1977)より。
「近江八幡市から一里半ばかり北の、湖水に突き出した南端の長命寺は、延暦寺西塔の別院といわれる古刹である。背後の長命寺には、「富士権現の母神の墓」と伝えられる大岩石があることで知られている。孝霊帝朝の富士山突起と琵琶湖陥没の伝承から、琵琶湖を生んだ母神という付会らしい。この長命寺の住僧が天狗に化ったという見聞を、国学者の伴蒿蹊が『閑田耕筆』(享和元年刊)に書いている」
(要約)元禄の頃、長命寺の普門坊という名前の僧が、百日荒行して天狗に変じた。しばらくのち隣りの牧村にある彼の実家(郷士)に「今後は来られぬ」という声が響いた。長命寺の裏山に祠が造られ、年に一回のこの社の祭りは牧村の実家が行い、以後100年続いている。
「百余年の間、毎年例祭を絶やさなかったとは、普門坊の霊威と練行のことがその地方の住民に相当強く印象づけられ、畏敬されていたからであろう。ただこの種の天狗化生譚はほかにも幾つもある。普門坊はたまたま蒿蹊のような優れた学者の筆に載り、そのうえ松ヶ崎普門坊という狗名まで残されていたのが幸いで、列伝の一狗に加えたまでである」
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のんびりドライブしていたら、またも16:00頃になっておりました。
昨日の横川でもそうでしたが、こういったお寺の拝観は大概17:00までで、受付も1時間〜30分前には締めきってしまうところも多いですから、焦る。
近江に詳しくないわたくしは「長命寺」という名前のお寺さんのことは知りませんでしたが、現地の観光案内板には大概場所が示されておりますのでなかなか有名なお寺のようだ。「長命寺港」という港が琵琶湖観光の拠点のひとつになっているからでもあるみたいですが。
安土城〜彦根城付近の水郷の風景には心洗われるものがありましたが、足は留めず長命寺を目指します。
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有名なお寺とは思えないぐねぐねした坂道を延々登っていくとお寺があり、この時間なのに駐車場にはたくさんの参拝の車が停まっておりました。
そこからなかなか味のある風情の石段が。
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とってもありがた〜い名前のお寺です。開創伝説は聖徳太子。
太子がここに遊びに来たとき、「500年前に武内宿禰が字を書いた柳の木がある」と聞いて、見に来たところ「寿命を長くし望みを叶えさせよ(寿命長遠諸願成就)」と彫ってあったので感心し、お寺を建て、武内宿禰の長寿にあやかって名付けたとのこと。天台宗。姨綺耶山(いきやさん)長命寺。桜餅とは関係ないそうです。
武内宿禰は孝霊天皇より5代あとの天皇の時代の人ですから、知切光歳の書いた「富士山の権現の母(この女神の名は不明)の巨岩」は宿禰が来たときには、既にここにあったことになる。
といいうか、我らが伊豆の国の英雄・佐々木定綱(=蛭ヶ小島の蛭子の君の一の子分)ととてもゆかりの深いお寺だそうです。へぇ。
近江佐々木氏は六角家の祖。六角家は蔵前家の源流。
やはりお寺のお名前がお名前ですから、真摯にお参りしている人が多い。
長寿などは願いたくない私は本堂を巡って見るのにも身が狭く、困ってしまいました。
重要文化財の三重塔も見所だといいます。でもただいま1年4ヶ月をかけての修復工事の真っ最中だそうで、2層の屋根辺りまで見学用の足場が組まれ、間近で見させていただけるようになっていました。さきほど竹生島でも似たような工事現場を興味深く見たばかりです。
で、敷地内を巡って天狗様の祠を捜します。
興味深いのが、本堂の近くにこれまた立派な(すこし小さい)「護法権現社」というのがありまして、「これが天狗様か?」と思ったら、護法権現というのは武内宿禰のことだそう。その建物は江戸後期のものだそうで、そのまた隣りにある立派な「三仏堂」と見事な調和を見せている。これは神仏分離の騒ぎのとき大変だったろうなぁ、と思いました。で、その「護法権現社」というのを覗き込みますと、背後に見事な巨石を背負ってまして、これが武内宿禰の神体だとみなされているようだ。
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これがその武内宿禰の神体(を横から見たもの)ですが「修多羅(すたら)岩」と呼ぶのだそうです。
「すたら」?
「仏教用語である」と下に解説板がありますが、そんな用語があるのか。と思って検索してみると、確かに「修多羅」は仏教用語でありますが、その意味は見事に解説サイトによってばらばら。同一の語句とは思えないほどです。少なくともここに書いてあるような説明は、他では見いだせない。そもそも「しゅたら」と読むのがメイン潮流で、これを「すたら」と読むのは北九州市にある地名ぐらい。何者だ、スタラ?(「しゅうだら」と読むお寺もあるそうです)
そういえば、このお寺の山名も「姨綺耶(いきや)山」という意味不明の名前。
「なにかナゾのあるお寺なのか!?」とワクワクしてきました。
知切師が言った「富士権現の御母堂の岩」というのこれか、もしかして富士権現と武内宿禰の伝説の融合がここにある!?と思って周囲を見回すと、本堂の背後に相当する位置にアレ。
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あれが「六所権現影向石」ですね。(遠くてボけちゃった)
わたくしまだこのカメラの操作に慣れておりません。
なんでこれが「六所権現」なのかわからないですけど、寺伝によればあれが「武内宿禰が長寿を願った石」だそうです。(柳の木じゃなかったっけ)
そしてこちら。
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太郎坊大権現の鳥居!
なんで太郎坊?(普門坊とは別者か?)
そしてお分かりになりますか? 鳥居の上には無数の小石が並べられております。
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鳥居の先をずんずん進みますと、ありました、天狗の社。