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Channel: オセンタルカの太陽帝国
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今度はイタリア抜きでやろうぜ。

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クジラ。

1月13日に行った奈良旅行の記録のつづき、第6回。
…なんてこったい、5回で終わらせる予定だったのに。(書き終わらない)
せっかくヒマでヒマで仕方の無い毎日を送っているのですから、早く次の旅行に行きたいですよ。(でも雪は怖い)


さて、葛城地区には行きたいところがいっぱいあります。
まず、櫛羅のすぐ近くに綏靖天皇の御所跡だという「高丘宮」があります。それからそこからすぐに「室秋津島宮」もある。
葛城の地は「欠史八代」(=第2代綏靖天皇〜第9代開化天皇までの、記録があまりない時代。紀でおよそ500年間)の間、政治の中心地だったんですね。
わたくし「失われた〇〇」とか大好きなので、一度ここをじっくり歩いてみたかったんです。

…と思ってたんですけど、車で走っていたら、あっさり通り過ぎてしまいました。わかりづらい。
いいか、またあとで来れば。(※来られませんでした)
で、欠史八代は別名「葛城王朝」と呼ばれております。
謎に満ちた時代です。
が、「葛城王国」の範囲って一体どこからどこまでなんでしょうね。現・御所市と葛城市と大和高田市は入るとして、橿原市は違いますよね。第9代の“日本の猫の大王4世”開化天皇なんか遙か遠くの奈良市のあたりに宮殿(春日率川宮)を作ってしまってます。



「御所市」は「ごしょ」ではなくて「ごせ」と読みます。
古王朝時代の「御所跡」がたくさんあるからこういう地名になったと単純に思いましたのに、なんで読みが「ごせ」なんでしょうね。
WikiPediaには「市内を流れている葛城川に5つの瀬があったとする説や、孝昭天皇の御諸(みもろ)が「御所」に変わったとする説がある」と書いてあります。
意味不明。
が、「ごせ」は決して新しい地名では無く、江戸時代以前から「ごせ」という呼び名があったということは、天誅組の乱を調べていて知りました。
が、この「ごせ」って、本当はきっと「巨勢」か「古瀬」ですよね。
そうだと言い切っていけない何か(もっと深い事情)があるのでしょうか。

巨勢谷を本拠とした「巨勢氏」は葛城地方固有の部族です。
巨勢氏の祖とされる「武内宿禰(たけしうちのすくね)」は、第12代景行天皇から第16代仁徳天皇の頃の人だとされていますから、「欠史八代」の時代よりもあとの人になるわけです。武内の宿禰の父は「屋主忍男武雄心命」(日本書紀)/「比古布都押之信命」(古事記)の2説があり、どちらも第8代孝元天皇に結びつけられておりますが、武内宿禰以前に葛城の地に結びつくような逸話は無いようですね。巨勢氏や蘇我氏は「渡来系氏族」だとされていますし。で、武内宿禰の息子たちが波多氏・林氏・波美氏・星川氏・淡海氏・長谷部氏・許勢(巨勢)氏・雀部氏・軽部氏・蘇我氏・川辺氏・田中氏・高向氏・小治田氏・桜井氏・岸田氏・平群氏・佐和良氏・馬御樴氏・木臣・都奴氏・坂本氏・玉手氏・的氏・生江氏・阿芸那氏・江野財氏らの祖となるのですが、とくに第6男の「かつらぎのそつびこ」(襲津彦)が「葛城氏」の祖、すなわち役ノ行者のご先祖となるわけです。
一方、葛城地方の大神とされているのは「一言主(ひとことぬし)」の神です、性格がよく似ているので出雲神の「事代主(ことしろぬし)」と同一人物とされることもありますが、たぶん別人。一言主が現れるのは第21代雄略天皇の時代で(つまり武内宿禰よりもあとの時代の神)、葛城地方の「賀茂氏」とゆかりが強い神です。暴虐な雄略天皇は「葛城氏」と「賀茂氏」を両方とも粗略に扱いましたので、なんかわけのわからないことになりました。役ノ行者は「賀茂氏」の一族、とされることもあります。
ということは「葛城氏」と「賀茂氏」は同族? まさかね。



御所市のマスコットキャラクターは「そつひこくん」と「いわのちゃん」。
「ソツヒコ」は武内宿禰の息子で、朝鮮出兵等に功のあった武臣。
「イワノ姫」はソツヒコの娘で仁徳天皇の皇后となり、「とてつもなく嫉妬深い女性」として知られる人。

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