1月12日に行った琵琶湖旅行の記録の続き、第3回。
8時に目を覚まし、出発。
今日の目的は琵琶湖一周。
私は遠江国の住人ですので、近江の国のことを兄のようにお慕い申し上げておるのです。
琵琶湖の北の方には行ったことが無かったので。
知切光歳の『圖聚天狗列伝』には、琵琶湖の天狗には3人が名を挙げられています。
・比良山次郎坊(ひらさんじろうぼう)
・竹生島行神坊(ちくぶじまぎょうじんぼう)
・松ヶ崎普門坊(まつがさきふもんぼう)
比良山は3年前にも天狗を捜しに行ったことがありますので、今回はパス。
(3年前無目的に適当に比良の山の中を歩いたんですが、何も見付けられませんでした。
痕跡がなさすぎるのです。今の時期に比良の山に入ったらきっと遭難します。
でもそういえば、ダンダ坊遺跡(比良の僧兵の城砦跡?)は見付けたのでした)
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3年前に撮った比良山のダンダ坊・・・ 写真だと何がなにやら。
今日は竹生島に行ってみることにします。
竹生島は琵琶湖の北端にある小島。浜名湖でいえば礫島にあたる島です。
浜名湖には礫島ひとつしか島が無いのですが(人工島・弁天島(象島)もあるが)、琵琶湖には「竹生島」、「多景島」、「沖島」という3つの島があって、それぞれ個性を持っている。
本当は面白そうなので3つとも回りたかったんです。
夏だったら大津を出発して、「3つの島を1日かけて巡るクルーズ」というのがあるそうなんですが、この時期にはお休みしているらしい。
なので竹生島だけ行くことにしました。(天狗がいるのは竹生島だけだから)
ところで、琵琶湖の各地域の呼び名についてです。
浜名湖は形が入り組んでますから、場所によって「浜名湖本湖」「弁天島」「今切れ口」「引佐細江湖」「庄内湖」「猪鼻湖」「松見が浦」「内浦湾(舘山寺)」「鷲津湾」という名前が付いています。
この日記を書くに当たって、琵琶湖にも相当の地名が無いか調べたんですが、琵琶湖の場合、「北湖」と「南湖」という区分をするそうです。
その「南湖」というのは琵琶湖大橋(堅田--ピエリ守山)より南の細い部分。北と南のバランスが悪過ぎやせんか。
(南湖の部分だけでさえ広さで言えば浜名湖本湖よりも遙かに広いのですが)
ちゃんと調べれば「赤野井湾」「山ノ下湾」「奥出湾」「塩津湾」「大浦湾」「マイアミ海」などの地名があるようです。
でももっぱら沿岸の集落名・港名「〜沖」と呼ばれる事の方が多いみたい。そりゃそうか。
さてさて、“琵琶湖で一番神秘的な島”竹生島に行くには、大きく3つのルートがあります。
・長浜港から(琵琶湖汽船)・・・片道約30分、往復2980円。冬季は1日2便。
・今津港から(琵琶湖汽船)・・・片道約30分、往復2520円。冬季は1日2便。(土日祝のみ)
・彦根港から(オーミマリン)・・・片道約40分、往復3300円。冬季は1日2便。
それぞれ2便ずつとはいえ、選択肢は豊富ですね。だって人が住んでいない島なんですから、只観光だけの線なのに。さすが竹生島。夏はもっと本数が多いです。もちろん車で来ていないのなら、往と復を片道の別々とする組み合わせもできます。夏には大津港出発の便もあるという。
私は3つのうち「今津港」を出発する物を選ぶことにしました。
たまたま日曜日でしたし、どうせ琵琶湖を一周するつもりでしたし、この往復が島での滞在時間が一番長かったし(80分)、何より料金が一番安でしたから。
今はともかく、平経正や延喜帝の時代には、どこから出発するのが一般的だったんでしょうか。志木沢郁氏の『可児才蔵』では比叡山麓の明智光秀に仕えていた可児才蔵が琵琶湖最北端の菅浦まで馬で行って、漁師に舟を借りて竹生島に渡る描写があるのですが、今の時代ではその方法はなかなか・・・
出航の時間は10:30。
今津港がすぐにみつかるか自信が無かったので「間に合うかな」とヒヤヒヤしながら行ったんですが、10時前には無事到着していました。大津からは50kmぐらいなので、1時間半ちょっとですね。
そうそう、このルートを選んだ理由のひとつは、
雪を冠った比良山を間近で見たかったからでもありました。
「近江八景」の一つは「比良の暮雪」。まだ朝なので暮雪ならぬ「明雪」ですが、美しくて迫力がある。近江八景にならって遠江にも「浜名八景」というのがあるんですけど、「比良の暮雪」に対応するのがわれらが舘山寺の「大草山の暮雪」なんですよ。偉容は段違いだし南国浜名の東岸で雪が積もることなんてありませんけど。
とくに堅田の町中から見る比良山が見事です。あのどこかに次郎坊がいるんですよー。
(北比良の堂満岳とカラ岳の間にリフトとロープウェイがあって(
2004年に廃止)その山頂駅の付近に「次郎坊」という地名があったといいます。スキーのためのロープウェイだったそうなので、冬の間も次郎坊に登れたんですよね。八雲が原のスキー場の脇に接した場所なので、便宜的に付けられた新しい地名だったのかもしれませんが。それよりも堂満岳(どうまんだけ、1057m)の名前の由来は何? カニ?)
写真で見ると雲一つ無い晴天に見えるかも知れませんが、実は天気は良いのに東の方がたいぶモヤってまして、既に対岸は見えない。
しまった、昨日の方が見晴らしは良かった。
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9:14の景色。
到着した9:40頃にはその場に私しかいなくて、「やべえ、貸切か?」と思ったのですが、「琵琶湖周航の歌資料館」やら「ヴォーリズ通り」やら歩いて戻ると(意外と楽しかった)、出発の10:30には乗客は10人前後に。寒いですからね、こんなもんですよね。
浜名湖の遊覧船が大好きなので、琵琶湖の遊覧がどんなのかとても楽しみだったんです。
なので浜名湖との対比。
浜名湖の場合、舘山寺を出発して30分で周遊するコースと60分で周遊して帰ってくるコースがあるんです。30分コースなんて行ってすぐ戻ってくる感じであっという間なんですが、それでも行ける範囲のポイントをいちいち回り、ゆったりとした雰囲気を味わうことが出来る。
琵琶湖の場合は、片道30分なんですが、ただ一直線に竹生島を目指す。スピードも速く、全く連絡船です。
一応座席で、琵琶湖案内のビデオをずっと見ていることもできますけど、湖上の風景を見ていても景色は雄大すぎてすぐ飽きる。浜名湖は地形が入り組んでますから沿岸をちまちまのろのろ走るだけで、「浜名湖って狭いんだな」と改めて思いました。琵琶湖は広い。深さもだいぶありそうです。
琵琶湖は浜名湖に比べて波がほとんどありません。地形的に潮の干満も無いのかしらね。
この日は空気が煙っていて、かなり近づかないと竹生島の姿もはっきりしませんでした。
竹生島には季節によりいろんな形態のクルーズが様々あります。
今津港発のに一回乗っただけでは琵琶湖遊覧の感覚は掴めないんだろうな、と思います。
浜名湖遊覧とは大違いです。
浜名湖の遊覧も、むかしは5つぐらいのコースがあったそうなんですけどねえ。
今津港からのルートは、ニュースでよく見た「カワウの害が甚だしい」島のお尻の方から近づきます。凄いねカワウ。
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下にある鳥居は神社(都久夫須麻神社)のもので、上に見える(階段はまだまだずっと続くが)の鳥居はお寺(巌金山宝厳寺)の物。まあ、明治以前はお寺も神社も一体だったんですが。
竹生島の見所についてはいろんなサイトで紹介されているので省略するとして、わたしはこの島の天狗のお話だけを・・・
・・・しようかと思ったんですが、ウィキペディアの解説が(私的に)とても面白いので紹介。
この島は現在は「弁天様の島」として有名ですが、島自体は「浅井姫命(あざいひめのみこと)」といいます。浅井の姫は弁天(市杵島姫)とは別の女神だという。
淺井比売の本体は滋賀県の北東部にある伊吹山脈の「浅井岳」(1317m)で、伊吹山塊の主峰・伊吹山(1377m)の男神「多多美比古命(ただみひこのみこと)」とは伯父・姪の間柄だったそうです。ある日、この二人が「背比べをしよう」ということになったのですが、姫の方がおほほほほほと背伸びするとみるみる標高が伸びていったため、伯父は怒って手にした刀で姫の首をはね飛ばしてしまいます。姫の首は湖に落ち、「つぶつぶつぶつぶ・・・」という音をたてながら沈んでいったので「つぶつぶくび島」→「つくび島」という名前になったとか。この昔話にはいくつかのバリエーションがありますが、怒りがまだ収まらなかったのか、伯父は姪の身体の本体の「浅井岳」という名前も「金糞岳」という名前に変えてしまいます。
これは竹生嶋縁起によれば孝霊天皇25年のことだといいます。
大人げないのは伯父の「多多美比古」で、何も頸をはねなくても、と思うのですが、このタタミヒコもまた謎的な神で、鍛冶神だともいい(だから金糞か)、また「伊富岐大神」と同一人物だともいう。伊吹の大神といえば大猪に化けてヤマトタケルを祟り殺した人で、その正体は「八岐大蛇」とも言われており、そうか、八岐大蛇なんだったら仕方が無いね。(何が)。姪ももしかしたら首は3つぐらいあったかもしれない。
なお、現在の金糞山は1317m、竹生島の水面上の標高は197m。竹生島付近の湖の深さは104mだそうですから、それらを足すと、首を切られる直前の浅井姫の身長は(顔がひとつしかなかったのだとしたら)1618mということになる。うち300mが顔部だったことになり、浅井姫の真姿は6頭身の美女。近江の国では一番であり、金糞岳のすぐ近くにある能郷白山(美濃国で一番高い、1617m)にも1m勝ったことになりますね。ただし、竹生島は湖底とは繋がっていない(浮いている)という伝説もあります。
ところで「浅井比?」の名の由来は何だろう?
「孝霊天皇4年に東で富士山が隆起して西に琵琶湖が出現した」という伝説があり(林羅山『神社考』)、この場合下手人はデェダラボッチですよね。だとすると巨人デェダラ坊と巨大女アサイ姫は同時代の人間だということになる。
(※「景行天皇10年に竹生島が出現した」という伝承もある。)
『圖聚天狗列伝』より。
「行基が弁天堂を開くまでの竹生島は人跡を絶した無人島で、程近い多景島と共に比良山塊の天狗どもの絶好の遊び場であった。そこに行基が寺を創建し始めたのだから、天狗どもはわれらのなわ張りを渡すなとばかり、様々の障碍をほしいままにした。しかしそうした天狗どもの蠢動も、法験無双の行基菩薩の折伏にあって静まった。首領の行神坊がまず仏価に浴し、眷属とともに長く島の護法たらんことを誓い、剃髪ならぬもろ手の指の生爪ことごとくを切ってささげた。天狗の有力な武器である爪をみんな切ったというのだから、発心の程が知られよう。行神坊という坊名はこのとき行基に授かったものか。弁天堂へ登る鬱蒼とした道の傍ら、大きな杉の下に行神坊を祭った天狗堂がある。そこは昼なお暗い樹蔭で、この小島の中でと思うほど一種の魔気を漂わせている。行神坊が切って捧げた生爪は、今も山上の宝物館に、役ノ行者の竹杖その他、数多くの宝物、古文書類と一緒に陳列されている」
この逸話の出典はなんなのでしょうか?
知切光歳が本の名前を挙げないのは珍しいので、近所の人(神社の人?)に聞いたエピソードなのかも知れない。
「行神坊が比良の天狗」と断言しているのも、「湖畔の伝承」として「竹生島では比良の天狗の集会がおこなわれる」と書いていますから、独自に比良の天狗話と白髭明神(猿田彦)の逸話を蒐集したときの聞き書きかもしれませんね。
島内の案内板に全く天狗堂のことは書いてありませんが、階段を昇りきるとすぐに見つかりました。
知切師は「魔所のように禍々しい」と書いてますけど、すっごく明るい場所にあります。30年のうちに雰囲気が変わってしまったのでしょうか。
で、書いてある名前は行神坊ならぬ「行尋坊」。
知切師は「行神坊」という名前をどこから持ってきたのでしょうか?
「行神坊」という名前を知切師以外に使っている人はいません。
(※同様の例は「光明山利鋒坊」→現地名「光明山笠鋒坊」があります)
堂の上部に絵が飾ってあります。おおっ、行尋坊天狗の御姿だっ
なんとやさしげな。
どなたが描いた絵なんでしょうね?
天狗堂のうしろにあった2本杉。
この堂は湖を背にして建っています。
残念ながら堂の付近には行尋坊のいわれなどの解説板などは無し。
惜しいですよね、こういうメジャーな観光地の目立つところに天狗様の偉業をさりげなく示しておけば、今の世でも天狗様信仰の人は増やせると思うのにね。(誰も要らないって)
それから、頂上付近にある宝物殿に向かいます。別料金500円。
もちろん行尋坊の生爪を見に行ったのです。
ところが、入館料を支払ったとき、おっちゃんが「中に弘法大師の請来目録があるよ」と言う。そこでもらったパンフレットの表写真もそれ。実はわたくし写経が趣味なのですが、字の練習をするとき常に手本にしているのが空海の『風信帖』と『潅頂記』でして(ネットでいくらでも見れる。本もたくさん出てる)、大師様の字をそれはそれは愛しているのですが(それにしては私のクセッ字は全く似ないが)、弘法大師の真筆がここにある!?
その前に陣取ってずーっとそれを眺めてたんですが、これって本物? 確かに弘法大師の字には見えるが、空海って書によって全く筆跡が違うし、どうなんだろうね、これ? とパンフレットに書いてある解説をずっと読みながら悩むことしばし。そもそもなんで弘法大師の書が竹生島なんかにあるんだよ、と思ったら解説にも「平安時代中期の写本」とちゃんと書いてあった。なんだよ、大師の字と似ているから勘違いするところだったよ、とホッとして宝物館を後にしたんでした。めでたしめでたし。
この書の中で空海は自分の名前のことを変な文字で書いていることが面白かった。空海の「海」の字を「泉」みたいな字で書いてるの。(「泉」の「白」の部分が「毎」)
・・・と安心して家に帰って念のため検索したんですが、やっぱり弘法大師直筆の『請来目録』の本物はやっぱり竹生島にあるんじゃん。
あれ、本物だったの!? 本物だったんですかッ!?
冷静に考えて私の目にしたのは平安中期のレプリカで(だってそう書いてあるし、重要文化財って書いてあるし)、でも国宝である本物も竹生島に蔵されている? うーーん、わからん。
で、天狗の生爪。
そんなのあった? 弘法大師に夢中になってたので、見た記憶がありません。うー。
見た人の記録はたくさんあるのであることは間違いないのですけど、あったかしら。あったとして、この私が脳裏に見たことすら留めていないだなんてこと、あり得るのかしら。「爪とは思えないほど大きい」と見た皆様は書いておられます。うー。天狗の爪の隣には竹生島の天狗についての解説もあったそうです。う゛ー。
それから、ネットで調べたら「竹生島神社の一の鳥居の隣に石碑があって、その裏側には行尋坊の爪の後が残っている」という情報があったので、一の鳥居の付近を探したんですけど、結局見付けることは出来ませんでした。だってこの鳥居、新しいんですもん。家に帰って調べ直してみたら、この「竹生島神社」というのは島にある神社のことではなく、湖の対岸の早崎町にあるという竹生島神社のことでした。ややこしいわい。(竹生島も早崎町に属している)(※
参考)
ついでにネットで知った情報。
「行尋坊は随従として行基の傍らを離れる事なく、「死んでも永遠にこの島の守護を誓う」と言って、指の生爪を剥いで天狗となった」
知切師とは若干ニュアンスが違うような同じなような。
行基の側にずっといたのなら、少しは記録が残っていそうな。行基の伝記もそのうち捜してみましょうね。
さて、島での滞在時間は80分です。
探索の時間は「長ければ長いほど良い」と思っておりましたが、50分もするとやることが無くなりました(笑)
もちろん本堂も唐門も船廊下も神社もじっくり眺めましたよ。
見たかった「白蛇様」を見付けられなかったのですが、どこにあったのでしょうか。
まぁいいです、今日の目的は天狗探しであり、その目的は達したのですから。
大々的な工事中の箇所がかなりあり、見学はいささか不便でした。
でもこの修復工事、昨年始まり6年もかけてみっちりやるそうで、
ここなんかもカラフルな色に塗り直されるそう。
そうか、次回来たときは(来ることがあるか?)この景色はもう無いのね。
違うポップな雰囲気になってしまっているのね。
船着き場には土産物屋が何軒も並んでおるのですが(7軒あるそう)
この季節なので営業してたのは1軒のみでした。
たった1軒でも開いているのはありがたいもので、ちょうど小腹が空いていたので何か食べようと思い、ちょっと覗いたら前から食べたいと思っていた「鮒寿司」の文字があったので「しめた」と思ったのですが、実は先程「竹生島に来るルートは選択肢が多い」と書いたんですが、この時期だけは便宜的にみんな同じ時間に島に上陸して同じ時間に退島するように設定されているようで、つまり長浜からのお客さんも彦根からのお客さんもこの1軒のお店に殺到しており、なんかめんどくさくなっちゃった。いいや、鮒寿司なんか滋賀県ならどこでも売ってるだろうし、どうせこういう観光島の値段は必要以上に高いだろうし、と思って諦めました。
ここは季節中は客引きがすごく煩わしいそうなのですが、私は昨日貴船でとても好ましい客引きに遇う経験をしたばかりですし、今となって思えばもったいないことをしたな。
あとはずーーっと湖の景色を眺めておりました。
竹生島から比良の山や伊吹の山を望むことを楽しみにしておりましたのに、全然見えひん。
対岸すら見えません。
琵琶湖って広いなあ、と思いました。
そこから湖を戻って、13時ごろにドライブ再開。
すぐに道の駅「マキノ追坂峠」を発見しまして、小腹を満たす為に寄り道。
すでに周囲は雪だらけになってまして、堅田あたりとは全然景色が違う。なのに道の駅は人でごったがえしておりました。
鮒寿司、高ぇ。
ついでに「鯖寿司」も買ってみました。
3年前にドライブに来たとき、白髭神社を通って高島市から西進し、朽木谷を通って京都に戻ったんですよね。その途中、夜道の朽木谷で鯖寿司ののぼりをたくさん目にし、「喰いてぇ〜」と思っていたのでした。朽木谷は通称「鯖街道」。琵琶湖全体で鯖寿司が名産物かどうかは知りませんが、少なくともマキノのここではご当地グルメだ。3年越しの夢。
で、道の駅の中にはいろんなメーカーのいろんな鯖寿司が売られてまして、さすが鯖街道。でも困ったことに値段が全然違う。
分量にかかわらず、安いのは安いが、高いのは高い。これは困ります。
おそらく材料の生産地による差だと思うのですが、そんなこと言われても。
「生と焼きを食べ比べてみよう」と思って(真ん中ぐらいの値段のを)購入してみました。
さっそく外に出て、雪に囲まれた屋根付きのベンチに座って食べて見ます。
雪が降ってます。寒い。
まず、鮒寿司から。
これは食べて見ないとどんなものか全く想像もつかないですからな。
静岡でこれを食べられる機会は全く無い。
おそるおそるご飯の部分から食べ始めてみます。
おお、ウワサには聞いてましたが、本当に〇ってやがる。
酸っぱいニオイに酸っぱい味。本当なんだ。
続いてフナの身の部分。堅い! そして酸っぱい。
不思議な食べ物だなあ。
これは酒と一緒に食べるもんじゃないか?
すげえ、どうしてこれが食べ物になったのかと考えると涙が出る。
結局の所、4分の1弱食べたところで諦めて(もうこれ以上食えん)、家に持ち帰ることにしました。
賞味期限は未開封で1/22までと書いてありますが、車の中でこれ以上〇ったとしても全然問題は無いでしょう。だってすでに〇っているから。
さっき竹生島でこれを食べなくて本当に良かった。
怖い物が大好きな私をこんなに怖れさせるとは、恐ろしい食べ物だ。
家に帰ってから(2日後に)お酒と一緒に食べてみました。
あれ? 酒を供にすればいくらでも食べられる。
なんだこれ。
ていうか、むしろ好きだぞ。
分かっていてもバクバクは食べられませんけど、ちびりちびり食べる物ですね、これは。
ご飯の部分は食べなくても食べてもどちらでもいいそうですね。
「チーズみたいな味」と一般に評されていて、「なにが?」と不思議に思っていたのですが、
確かに卵の部分がチーズみたい。ここが一番美味しい。
すばらしい。(でも一気に食べられず、3日かけて食べました)
食べきってしまった今となっては、写真を見るだけでよだれが出るほどです。
なお、卵の部分は初心者向けで、通は雄の鮒寿司を好むそうです。恐るべし近江県人。
雄の鮒寿司は諸処の事情からものすごく希少価値があるそうです。
話を1/12に戻しまして、続いて鯖寿司を食べる。
うん、うまい。
ウマい以外に言葉が無いですよ。だって鯖ですもん。
琵琶湖畔でわざわざサバを食べることの是非を考えてみようともしましたが、だって仕方がないよ、そういう文化だったんだもん。
なお、鯖寿司は静岡でも頻繁に食べられます。
続いて焼きサバの寿司を。
うーーん、ますます旨い。
焼きサバですからね、美味しいのは当然だ。鯖ってなんて素晴らしい魚だろう。
(浜名湖でも鯖は獲れます)。ただ、若狭の鯖の脂っこさは世界一なのだそうです。
・・・ドライブを再開します。
そこから琵琶湖の北辺を通って湖東地域に行こうとしたんです。
ところが雪は降ってるし、道路はもう凍ってるし、「ただいまの気温3度」とか書いてあるし、もうぶるぶる。
いえ、さすがの私でも3度では水は凍らないとは知ってますが、道を走っている車は平気でびゅんびゅん飛ばしてますから、きっとみんな雪タイヤ穿いてんだな、と、それは当たり前なんですが(南国生まれの私は雪タイヤなんて持ってない)、自分の後ろに3台も車が付けばどうしても飛ばしたくなる自分がいて、やがてガードレールにつっこんで小破している車やそこへ向かうパト車など見て、やばい、このままだと自分もアレになる、と。
本来なら琵琶湖北辺を通る国道303号線を通っていくべきでしたが、そのルートは山道でして、いくら国道ではあるとしても今の私の車のタイヤでは危険だ(と、思いました)。
従って比較的平地だと思われる国道161号線を通り、琵琶湖北部の山地をぐるっと回っていこうと思ったのですが、琵琶湖って思ったより標高の高いところにあったみたいで、福井県に向かってじりじりと坂を下っていく。いやぁ〜〜、これ以上北に行きたくない、坂を下りたくない。
坂を下っていけば気温は上がっていくはずですが、北へ向かっている為その安心感は相殺され、実際に車の外温計は、2度、1度と下がっていき、だって雪が降ってるんだから1度だったら道路はやばいじゃん、こりゃやばい、タイヤにチェーンを巻くべきか、とウジウジしだしたところで、国道6号線が出現し、山を迂回して南下開始。助かった〜〜と思いつつ、また琵琶湖に戻ってくるまで気温は1度から2度を上下しているままでした。その距離およそ20km。南国人には雪の降る道路は怖い。
それにしても琵琶湖は北と南の気候の差が大きい。
浜名湖より凄い、と思いました。(当たり前)
長浜市ですらも、小谷城のあたりと長浜城のあたりは全然風景が違う。余呉湖とか賤ヶ岳とか姉川とか、本来なら見て回りたいところがいっぱいあったんですが、雪が怖いあまり、ぜんぶ素通りしてしまいました。初めてほっとできたのは長浜市の南部辺り。
改めて不思議なのは、戦国浅井氏の領土ですね。あの山地を真ん中に挟んで、どうして西浅井と東浅井、それから高島市のあたりまで支配できたんでしょうか。私は雪山を必要以上に怖がってますけど、船利用前提ですよね。
そこからは適当に、道の駅やらお土産やさんやら覗きつつ南下していきました。
「琵琶湖の特産品」ってなんでしょう。
なにかおもしろそうなおみやげないかなー、と思って見て回ったんですが、佃煮とか甘露煮が多かったですね。(苦手)
もちろんさっき食べた鮒寿司はすばらしい発明品ですが、
もっと湖魚的なのはないかと。
遠江湖人的には、いろいろな本で紹介されていた「琵琶湖八珍」が面白いと思いました。
これは昨年、安土城考古博物館(なぜ?)が主体となって選定されたもので、、「琵琶鱒」「小鮎」「似五郎鮒」「ハス(コイ科の大きな魚)」「本もろこ(コイ科の小さな魚)」「いさざ(ハゼ科)」「琵琶ヨシノボリ(ハゼ科)」「スジエビ」の8つですって。
本当は、ウナギやシジミを推す声も大きかったのですが(実際に琵琶湖沿いには鰻屋が多かった。瀬田シジミもブランド)、将来のことも見据えて敢えてこの8つにしたんですって。
おもしろいのは、「食材」としてこの8つが選ばれたんですが、「料理方法」は敢えて問わないってところ。
例えばあの素晴らしい「鮒寿司」の材料が「ニゴロブナ」なのですが、
米に漬けて●らすの他にもニゴロブナにはたくさんの調理法があって、ここではそれらをすべてひっくるめて「珍」とするという。
ヨシノボリって食べる文化が琵琶湖にはあったのか。
この「琵琶湖八珍」は「宍道湖七珍」をリスペクトして提唱されたそうで、
そもそもその宍道湖七珍も調べてみると、例えば
松江市のサイトなどには「シラウオの酢味噌」「アマサギ(ワカサギ)の照焼」「鱸の奉書焼」「鯉の糸造り」「煮たモロゲエビ(ホンジョウエビ)」「シジミ汁」「ウナギの蒲焼き」などが紹介してあって、それらを一緒に食べるのが本来がごとくの書かれ方をされているのですが、これももともとは、「スズキ」「モロゲ」「ウナギ」「アマサギ」「シジミ」「コイ」「シラウオ」の7つの食材そのものをさすものだったとか。
その大元の「宍道湖七珍」も言い始めた最初は昭和30年頃だそうですからそんなに古くもないし、そもそも「鱸」「蜆」「白魚」「鰻」「公魚」「モロゲエビ(ヨシエビ)」は浜名湖にもいるし食材として珍しくも無い。(この「珍」というのは「珍味」という意味ではないのかしらね)
それに対し、「琵琶湖八珍」はよく出来てるし、琵琶湖らしさを体現できてる。
(ウナギやシジミなんか(と言ったら近江の人に怒られるだろうけど)選ぶべきではなかった)
海の恵みの種類で言ったら、浜名湖の方が何倍も恵まれている気もするけど、浜名湖も琵琶湖に学ぶべきところはたくさんあるよな、
とドライブしつつ、佃煮ばっかりで買う物が無いことを嘆きながら、思っていました。
でも実際のところ、琵琶湖の一番の恵みって魚などではなく、水郷地帯の豊かな水田と農作物のような気もしますけどね。
(浜名湖には一番欠如しているものだ)
(つづく)