
浜松市でもうひとつの「天狗の凧の町」といったら上西町ですが(←三組町もあるけどネ)、凧はともかく上西町の屋台は天狗とは全く関係が無いらしいのです。上西町の凧は「富士山の天狗のウチワ」でそれは町の鎮守・富士神社の神紋に由来しているというのです。


でも、上西町の富士神社に行っても全く天狗要素は感じられなくて、がっかりしてしまいます。
そもそも富士神社の神紋は「天狗のウチワ」に似てはいますが本当は「棕櫚(シュロ)の葉」で、似てはいるが天狗の羽団扇では無いというのが大日本天狗黨の公式見解です。

棕櫚(しゅろ)っていうのは静岡県では陽光と風の強い広い場所によく植えられている南国っぽい植物ですが、実はかなり昔に日本に入ってきていて、『枕草子』にも「見た目は悪いが、舶来な感じがして格の低い家の植物とは思えない」と書いてあるそうです。どうしてそんな棕櫚が富士神社の神紋となっているのかというと、奈良時代から静岡県側の冨士浅間神社の大宮司を勤めている「冨士氏」の家紋であるからであって、棕櫚は「神の依り代となる木」と見なされていたからなんですって。上向きに広がるシュロの葉の形が、霊々しい神の光の顕現だとされてもいたようです。富士山と棕櫚はイメージ的に合わない気もしますけど、決して天狗のウチワとは似て非なる物なのだそうです。
じゃあ、天狗の持ってる本物のウチワって何でできてるのかというと、あれは「山鳥の羽」もしくは「天狗自身の羽根」、もしくは「八つ手の葉」なんですって。
でもそれはあくまで建前で、知切光歳の言うには、中世の冨士氏は天狗信仰をかなり前面に押し出していたみたい。

知切光歳の言うには、そもそも冨士氏はシュロの葉を天狗のウチワとみなして神紋としたそうです。(そんなことを明言している文献はひとつもないんですけどね)。でも確かに、シュロの葉なら「葉団扇」と言うのが本当なのを、冨士氏の紋は、棕櫚の「羽団扇紋」という名称なんですよね。棕櫚の葉団扇を浅間神社では表向き「天狗のウチワとは違う」と言ってはいますが、最初からシュロの葉を「天狗のウチワ」としている神社も少なからずあって、それは「富士山の(!)小御岳神社」「加波山神社」「妙義神社」だそうです。
現在の富士山の天狗信仰ってどうなってるんだっけ?
面白く思って、浅間神社巡りをしてみることにしました。

まずは富士宮市の「富士山本宮浅間大社」。
じつは富士山の周辺には20ぐらいの浅間神社があるのですが、全部が密接に結び合っているわけではなくて、ほとんどが「たまたま祭神が同じ」で「たまたま名前が同じ」「だって眼の前にこんな立派な富士山があるんだから、同じような神社がたくさんあるのはしょうが無いじゃん(進化の収斂)」「うちが本当は本物なんだぜ」ぐらいの関係です。「駿河國一宮」である「富士山本宮」も少しだけ影響力が抜き出でてはいますものの、この地に数ある浅間神社のうちのひとつなのです。
で、「富士山大宮司家」の「冨士氏」が本拠地としていたのがここ富士宮なのですね。
つまり「富士山天狗の棕櫚の羽団扇紋」の本拠地でもある。

境内を適度にぶらついて・・・
ショックを受けましたのは、無い! 無い!
棕櫚の木が一本も生えてないのは想定内でしたけど、神紋すらほとんど無いですやん。
(唯一、拝殿正面の一番目立つところに“棕櫚紋”が存在をアピールしてましたけどね)

これが浅間大社の羽団扇紋。
世の他の棕櫚紋の数々と比べて、本家の神紋はシュロの葉よりも「幹」を強調しているのがよくわかりますね。
なお、現在の浅間大社にはシュロの木は(おそらく)一本も生えてませんけど、こちらのサイトさんによると、数ある「富士参詣曼荼羅」のひとつにシュロの木が生えている様子を描いた物があるらしい。だから実際ここにシュロの木が生えていた時代もある可能性があるってことです。が、今回はその場所(廃仏毀釈で撤去された三重の塔があった場所?)には行かなかったので、現在そこがどうなっているか見てきませんでした。あの社務所っぽい建物がいくつもあった区画ですよね。
なお、上記ブログさんの記事で「葵紋と棕櫚紋が交互に描かれている」とされている本殿上部の“大棟”の部分の紋は、現在ではただの菊の御紋です。

浅間大社の本殿は二階建てなのが特徴で、こういうのを「浅間造り」というのだそうですが、あの二階部分には何の意味があるんでしょうね。何かがおわすんでしょうね。天狗みたいな。(←寝不足的な発想)

さて、今回の旅の目的は、「富士山の太郎坊大天狗の探求」です。
ずっと京都の愛宕山の太郎坊の研究を続けているのですけど、なんか血迷って「京都の太郎坊と富士山の太郎坊って実は同一人物なんじゃないか!?」と悩んでしまうまでになってきてしまったので。
だから、富士宮の浅間大社から、修験の聖地・村山浅間を経て、高鉢山を横目に眺めながら御殿場の「太郎坊」に向かおうと考えていたのですが、実はこの日はあまり天気が良くなく(前日まで雨が降ってましたからね)、富士宮まで来てみても雲が厚く、富士山はまったく見えなかった。「空気が抜群にきれいで景観にすぐれている」と評判の御殿場口五合目の「太郎坊」にこの天気の下で行くのは惜しい気がしたので、(明日は晴れだという予報だったし)予定を変更して、人穴の仁田四郎忠常遺跡を北上し、逆回りで富士山を巡ることに決めました。
で、「魔界の牧場」「朝斬り高原」を通りながら「人穴ってこの付近だよね」と思いつつ運転していると、なんか「富士山の芝桜まつり」みたいなものをやっているようで大渋滞。辟易しつつ精進湖までやってくると、ようやく道路は快適になり、ついでに雲が晴れて富士山がよく見えるようになった。「あれ、人穴ってどこだっけ?」と思って慌てて地図を見ると、遙か前に通り過ぎておりました(笑)。なんと、あの「魔改の牧場」の近くでしたよ。(この道路(国道139号線)沿いにあるものだと思っておりましたよ。←途中で県道71・75号線に入らないと行けなかった)
まぁ、通り過ぎてしまった物は仕方が無いので、次なる目的地を目指します。
鳴沢村の「魔王天神社」です。
鞍馬山の魔王尊サナート・クマラや長命寺の大魔王・太郎坊など、大天狗ってなんか「魔王」という言葉が好きなんですよね。
